ラベル

選書プロジェクト 第2号


ネットプリント番号:13448790(1/21まで)



「アンチ・ヘイト」の潮流を

個々の人間、個々の民族の特性をそのまま認めながらも、真に誉むべきものは全人類に属することによってこそきわだつのだという確信を失わぬようにしてこそ、真に普遍的な寛容の精神が最も確実に得られる。
(ゲーテ(小栗浩訳)「文学論・芸術論」世界の名著38 ヘルダー/ゲーテ中央公論社、1979年)
 様々な差異をもつ人びとを差別排除し攻撃するヘイトスピーチが、日本社会では「差別」と認識されず、公然と野放しにされ、「意見」として社会から守られています。ナチス・ドイツのホロコーストを想起させる特定の人びとへの生存権を脅かす「主張」とは、果たしてひとつの「意見」なのでしょうか? 
 人類の歴史を参照すれば、差別を煽動・肯定するヘイトスピーチとは「意見」ではなく、生命を脅かす「暴力」に他なりません。人類は長い年月をかけてそのことを社会のコンセンサスとするよう努力してきました。そして歴史に学ぶなかで、「二度と繰り返さない」と誓いました。
 差別を「意見」と錯覚し、差別を「区別」と理解する日本の現在とは、もはや「水晶の夜」といっても過言ではありません。差別する自由などありません。差別は意見でも区別でもありません。戦後日本社会においては、差別を抑える鎖が――か細いものではありました――脈々とつなぎ止められてきました。しかし、今、その鎖が壊れかかっています。
 いじめと同じように差別している人間は、そのことが差別という自覚がありません。差別が暴力と認識されず、憎悪のヘイトスピーチが野放しにされる現在、必要なことは、再び歴史に学ぶこと、今何が起こっているのか理解すること、そして差別を差別と理解できていなかった認識を改め、他者への想像力を鍛え直すことではないでしょうか。

 私たちは今回、ヘイトスピーチの問題を考えるための本を選書してみました。現在進行形で進む、歪な日本社会の「現在」を考えてもらう一助になればと思います。

―【アンチ・ヘイト】―

李信恵「#鶴橋安寧アンチ・ヘイト・クロニクル」(書房、2015)
「ただただ、体も心も冷えた1だった」。中学生の女の子に「鶴橋大虐殺」を叫ばせた大人への李信恵の怒りである。この少女のヘイトスピーチは沢山の在日の方々の心を壊し生存権まで奪おうとしたのだ。そして間違いなく、その、少女の心も壊している。「人権に国境はない」子どもを守るのは大人なのだ。原告として在特会との裁判に立つ李信恵の思いを是非読んで欲しい。


<著者・李信恵さんからのメッセージ>
 
 2014818日、「在日特権を許さない市民の会」と同会の桜井誠元会長、まとめサイトの保守速報に対し、損害賠償を求める訴訟を起こした。在日朝鮮人であり、女性であることで標的とされて来たが、同様な思いをもう他の誰にもさせたくない。
 しかし、今でもどこかで差別は生まれ、誰かの心を殺し、社会を壊している。どこの国でも、どの場所でも、あらゆる差別を許してはいけないと、日々思う。
 反差別のカウンター活動、外国人の子どもの学習支援、育鵬社の教科書問題、日本や韓国でのLGBT問題、女性差別、日本軍慰安婦問題などに関わってきたが、どの問題も根っこは繋がっている。
 今、この社会は確実に戦争への道を歩んでいる。もしかしたら戦争はもう始まっているのかもしれない。
 ヘイトスピーチは、いつか虐殺へと繋がる。戦争は、名もない人々の命を奪う。権力者が恐れるのは、弱者が連帯し、憎しみを連鎖させないことだ。手をつなごう、そして一緒に生きよう。

師岡康子 ヘイト・スピーチとは何か岩波新書 2013年)
「日本社会が真に問われているのは、法規制か表現の自由かの選択ではなく、マイノリティに対する差別を今のまま合法として是認し、その苦しみを放置しつづけるのか、それともこれまでの差別を反省し、差別のない社会を作るのかということではないだろうか」。ヘイトは立派な犯罪ですよ。日本は「差別の見本市」。

加藤直樹、明戸隆浩、神原元他NOヘイト! 出版の製造者責任を考えるころから 2014年)
言ってはいけないことがある。書いてはいけないことがある。ましてや、出版して広めてはいけないことがあるのは当然だ。人を傷つけ、不安にさせ、幸福を破壊するような言説は、断じて言論などではない。それは暴力であり、戦争であり、殺人だ。出版界に求められているのは、商業至上主義ではなく、人権感覚だ。

中沢けいアンチヘイト・ダイアローグ人文書院、2015年)
現代の排外主義は、なぜこれほどまでに人権をおとしめ、憎しみを煽るのだろう。これらの対談から見えてくるのは、安倍政権が推し進めようとしている「日本を取り戻す」どいう標語が、ヘイトスピーチをはじめとした、極めて醜悪な人権蹂躙の連鎖に先にこそ、想定されていること。ヘイトは紛れも無く政治問題である。

樋口直人 日本型排外主義 在特会・外国人参政権・東アジア地政学 名古屋大学出版会 2014年)
在日コリアンに対する憎悪差別犯罪の動機は、常に現状不満の鬱憤ばらしで説明されてきたが、それで全てなのか。本書は、外国人に対するネガティブなイメージより戦争と植民地支配に対する責任の未清算に起因すると指摘する。隣人憎悪を右傾化し歴史修正企る政権が追い風を送っている。時代に戦慄せよ!

藤井聡、適菜収、中野剛志、薬師院仁志、湯浅誠著 ブラック・デモクラシー 文社、2015年)
恫喝で少数者を黙らせ、多数決で民意の支持を得たと強弁し、責任を問われれれば逆上してプライバシー侵害の人格攻撃に及ぶ。ナチス・ドイツを彷彿とさせるアベ政治、そして、橋下維新の体質。この本には民主主義の危機が示唆されている。民主主義破壊のアベ政治を退場させるには、まず、橋下維新から。

在日コリアン教材作成チーム サハリンから来た崔アンナ(全国在日外国人教育研究所、2015年)
イラスト入りの読みやすい本です。日本語も簡単です。南半分が日本領だったサハリンには、日本により朝鮮半島から連れて行かれた人の子どもたちが、いまでも暮らしています。まわりの友たちもほとんど知らない歴史を、私はこの本で知りました。ヘイトをする人たちにも、この歴史を知ってほしいと思いました

有田芳生ヘイトスピーチとたたかう! 日本版排外主義批判(岩波書店、2015年)
「殺せ」「出ていけ――在日コリアンに浴びせられる殺人教唆と暴力の数々。本書は在特会を中心とするヘイトスピーチを批判する現在進行形の戦慄すべき報告であり、その詭弁を明らかにする。和を重んじる日本には差別は存在しないと人は言う。しかしその予定調和の重力が日本型排外主義として機能するのだ。

安田浩一 ネットと愛国(講談社、2012年)
初めて在特会の実情を丹念にレポートしたのが本書だ。在特会に「思想」は存在しないし、その活動は「レイシズム」以外の何ものでもないが、誰がヘイトスピーチを垂れ流すのか。「フツーとしか形容する以外にない」「あなたの隣人」なのだ。アーレントの「悪の陳腐さ」を想起せざるを得ない。

― 【不朽・いま】 ―

池田 大作、A・アタイデ二十一世紀の人権を語る出版社、1995年)
私たちは、人権を守るべきものと学んできました。しかし理由について深く考えてこなかったことが、人権尊重を嘲笑う温床になっていると感じます。世界人権宣言を起草した作家との対談で、創価大学創立者は「人権は幸福なる人生を開拓する全人格の発展の権利でなければならない」と指摘しています。目から鱗とはこのことです。

趙文富、池田大作希望の世紀へ 宝の架け橋(徳間書店、2002)
主に日韓のこれまでの歴史について、触れにくい箇所にも率直に対談されている。それはまさに「「真摯に過去を見つめること」は、「真摯に未来に向き合う」こと」である。歴史認識のあるべき姿を教わった書である。また、「日韓」ではなく「韓日」という表現からも、韓国を敬う姿を感じることができる。

マーチン・ルーサー・キング良心のトランペット(みすず書房、1968年)
晩年キング牧師は、周囲の反対にも顧みず「沈黙に終止符を打ち、良心に従って」あらゆる暴力と不正義に対してNOを突きつけました。目の前のひとりに寄り添うこと、差別と戦うこと自体、あらゆる暴力に対するNOだからです。非暴力運動による世界平和の実現の礎と説くキング牧師の遺著をこんな時代だからこそ紐解きたい。

松本誰が「橋下徹」を作ったかー大阪都構想とメディアの暴走140B2015年)
暴論も毒舌も、言論のうち。橋下維新のこんな詭弁をマスコミが批判もせずに通したことが、ヘイトを活性化させたばかりか、アベ政治の詭弁をも許す結果になってしまった。橋下流発言がヘイトそのものであることに気づかない人権感覚の麻痺は、在阪マスコミにも責任の一端がある。それを検証した、快心の一撃。

福島菊次郎証言と遺言(デイズジャパン、2013年)
人間の尊厳を守るために、権力に迎合せずシャッターを切り続け」た故・福島氏の写真集。戦後の問題は何一つ解決されていないと彼は言う。常に最前線で権力の横暴を告発し続けた彼は、一方で被写体と真正面から一人の人間として向き合い、精神病院に入った人でもある。人間主義の精神はここにある。

中島岳志アジア主義 その先の近代へ(出版社、2014)
西欧列強の覇道を打破し、東洋の連帯という王道を目指したアジア主義。しかし国家を超えた民衆の連帯の模索は戦前日本では挫折の末に近隣諸国を蹂躙した。日本の未来は、アジアとの友好なくしてあり得ない以上、その負荷を認識せずには進めない。植民地支配を文明化と錯覚する「名誉白人」なんて格好悪いぜ。

選書プロジェクト 第1号


ネットプリント番号:07318275(1/21まで) 



― 英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな ―

 このブックレットはSACのメンバーの道しるべである本をまとめたものです。SAC(Soka Academic Community)とは、創価に学んだ有志が、平和な世界―自由で平等で民主的なーを築くための、ゆるやかな学術的なアクションです。 

 今、日本の政治はどんどん平和から遠ざかっています。世界情勢にも、希望は抱けません 先の見えない今だからこそ、自分自身が試されている、書物を手に取り「学ぶ」事が求められているのではないでしょうか。 

 「学ぶ」とは何でしょうか。人間は生まれた時から、ゆっくりと気付かないうちに「あたりまえ」をうけいれていきます。ただ、それは、今、その時代の「あたりまえ」でしかありえません。「お国のため死ぬこと」が常に正しくはないように、常識は「正しさ」からかけ離れている事もあります。そのことに「気づく」ために「学ぶ」のです。知性とはこの世界にこびりついた「あたりまえ」への問いかけであり、「本当のこと」のあくなき探求であります。学は先の見えないこの世界を照らす光であり、今、社会に希望が見えない事こそ、本当の学が失われつつあることの証明のように思えてなりません。

 書物を手に取ることは問い、求め続けることの第一歩です。このブックリストにまとめられている30冊は、日本と世界で現在進行形で起きている不正義と、それと戦っている人たちを理解するための本です。つねに立ち止まらないこと、考えないことを拒否することには勇気が必要です。勇気を奮うため、知性を鍛えぬくための本です。

 そして、このブックリストで紹介する本は、私たち自身であります。誰のために、何のために私たちは学ぶのか、創価大学の建学の精神を常に胸に抱き、私たちは思考し、そして行動します。 「人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでいなければならない。これは非常に重要なことです」。(池田大作『青春対話』聖教新聞社)

― 特集【沖縄】十冊―

さ世しまんち
みるく世や
やがて嘆くなよ臣下
命どぅ

「戦世」は終わった
平和な「弥勒世」がやがて来る
嘆くなよ、おまえたち、
命こそ

 沖縄は第二次世界大戦で住民の三分の一が犠牲となった地上戦を強いられ、そして今でも日本の米軍基地の75%が集中しています。沖縄の人達は基地がここにあるのは「問題」だといいます。「基地問題」といいます。あの戦火を生き残った人たちは、このまま、私たちが死んで、基地のない、沖縄を知らない人だけになって基地があるのを「あたりまえ」だと言われるようになるのが怖いというのです。
 その言葉を聞いたとき、私は、この国は、どれだけの問題をあたりまえにしてきただろうかと、思うのです原発、格差、差別、いつの間にか、社会にゆっくりと諦めが蔓延して、あたりまえにしてきた何か。仕方がない、変わるわけがない、どうしようもないそういう諦めがやがて、無関心になって今、大きな権力が私たちの生きるための術を少しづつ奪おうとしているのを気付いていても気付かないふりをしてきました。
 今、ようやく問題だと言い始めて、私はそれを意識し、言い続けることのしんどさとあまりにも果てしない無力感と恐れのほんのひと端を見ました。沖縄は70年間、この痛みを背負い、叫び続けてきたのだと思い知ります。
今、村に大きな亀裂をいれても、辺野古で座り込む人たちがいます。機動隊に取り押さえられ、逮捕され時には怪我をしてまで守ろうとしています。その瀬戸際のむこうで、辺野古の海はまだ、青いのです。かかる虹はどうしようもなく、美しいのです。
 その度に私は思います。沖縄は基地の島ではない、沖縄は楽器と歌と虹の島だと。ただ、そうあり続けるために、今でも沖縄の人は、自分の傷をひらいても「基地問題」だと言い続けるのではないのでしょうか。沖縄は償い切れない命の果てにその土に「命こそ宝」との覚悟を刻み付けたのだと思います。
 沖縄は日本の差別と矛盾の縮図だといわれます。ありとあらゆる差別とそして、それを許さなかった人々の戦いが今でも続いています。私たちが沖縄を書いた本を特集するのは沖縄が政治の矛盾を一番重く背負い。それでも、どのような非道にも、無関心にも、権力にも、私たちは戦い続けることはできるのだという希望の島であるからです。
 私はかつて、ひめゆりの学徒の生き残りの方に聞いたことがありますなぜ、あなたは一番辛い、体験を語るのかと彼女ははっきりと二度とあなたたちに同じ思いはさせたくないからよと言いました。
 叫び続けてきた沖縄が、沖縄の人たちがなぜ、今もまだこれだけ苦しまなければならないのか。一体、なぜ、その叫びは今も届かないのか。私はその悔しさを胸に必死になって学び、考えました。これ以上の無関心に、もう耐えることができません。

 ここに集めた本はその覚悟と祈りから紡ぎだされた本たちです。今、その深い慈悲に尊敬と感謝を抱き、まとめたいと思います。


大田昌秀大田昌秀が説く 沖縄戦の深層(高文研、2004年)
軍隊は決して住民を守らない、軍隊そのものを守るのである」。沖縄戦の教訓は国家と軍隊という存在に根源的な疑いを投げかける。多数の住民が日本軍と米軍の両方の犠牲になった沖縄戦。元沖縄県知事の太田は、綿密に悲惨の様相を描いている

創価学会青年部反戦出版委員会打ち砕かれしうるま島(戦争を知らない世代へ1 沖縄編)(第三文明社、1974年)
この本の出版は平和を望むすべての者にとって、当時、大いなる光明だった。やがて絶版となり、この本を失ったことは、平和を望む我々の怒りを呼び覚ました。証言集としての価値を思い、復刻を強く望む。

沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議編辺野古って、なに? 沖縄の心はひとつ: 727日 沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議結成大会 発言録(七つ森書館、2014
辺野古での反対運動に関わる様々な人の人間らしい顔が、ウチナーグチに怒りを伴った人間らしい言葉として語られる。ここに人間がいる。 

三上智恵戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ): 辺野古・高江からの祈り大月書店、2015年)
副題に「辺野古・高江からの祈り」とある。祈らなくてはならないほど切羽詰った問題であり、祈りを切実なものとするほど絶望を予感する事態であり、そのなかでも「祈り」を続ける強さをもって行動している人たちが、ここでは等身大に描かれている。同名の映画と共に、ぜひオキナワの心に触れて頂きたい。

比嘉富子白旗の少女(講談社青い鳥文庫、2000年)
ひとりの少女が家族と離れ離れになり、様々な出来事や出会いと別れの中、生き延びて終戦を迎えるまでの沖縄戦の実話。著者が実際に日本兵が沖縄の住民を殺す瞬間を、ガマから見たことも書かれており、この作品で沖縄戦はアメリカからだけでなく、日本兵からも被害に合ったことを知った。本当に怖いのはその国ではなく、人の心である。

岡本太郎沖縄文化論---忘れられた日本 (中公叢書1972)
希代の芸術家だけあって、並外れた直観力で沖縄の風景と文化の根源に迫る1959年の沖縄ノート。生活の必然から生まれる「痛切な生命のやさしさ」に魅せられた著者の繊細な筆致の一方、戦前政府や軍国主義の愚劣さには我が事として憤る。沖縄の矜恃に触れた巻末のエールも見逃せない。

山内徳信憲法を実践する村沖縄・読谷村長奮闘記(明石書店、2001年)
米軍基地内に村役場を立てた元読谷村村長による著書。日米両政府を相手にして基地内に文化の楔として公共施設を建設するための自治体外交の実践。またその闘争の根拠となった日本国憲法の実践史。憲法9条と99条を村長室に掲げ、村政の柱とした。

阿波根昌鴻米軍と農民ー沖縄県伊江島(岩波新書、1973年)
戦後、基地建設のため、農地を取り上げられ餓死者まで出した沖縄の離島伊江島で非服従、非暴力を貫き、大半の基地を返還させ、沖縄のガンジーと呼ばれた著者の運動と思想史。「一、反米的にならないこと 一、怒ったり悪口をいわないこと」から始まる陳情規定は今後も市民運動の指針足りうる異彩を持つ。

阿波根昌鴻命こそ宝ー沖縄反戦の心(岩波新書、1992年)
農民と米軍の続編。本土復帰後、反対運動が消滅していく中で著者が伊江島で反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を建設するまでの道程。「平和とは人間の生命を尊ぶこと」といい、誰が戦争をおこすのかを語らなければ、戦争はなくならないという確固たる思想を示す。現在も続く座り込み運動の思想的支柱。

矢代堅二沖繩苦難の歴史から新しい沖繩へ (少年少女20世紀の記録)』(あかね書房、1982年)
沖縄の記紀と万葉といわれる「おもろそうし」に描かれる神代に始まり、[1. アマン世 2. 沖縄世 3. 薩摩世 4. 大和世 5. 戦世と苦世 6. アメリカ世]と、子ども向けながら沖縄の歴史を俯瞰できる一冊。現代沖縄を論じる前に、沖縄の成り立ちを踏まえておくための入門書として最適。

― 【不朽】十冊―

創価大学学生自治会編創立者の語らい1(創学サービス、1995年)
現代文明の行き詰まりに対して、新しい大学・学問の復興の必要性を説いた「スコラ哲学と現代文明」等、創立者・池田大作先生の重要講演が収められている。「真の教養」とは何なのか。私たちに問われ続ける「英知を磨くは何のため」との探求の道標となる1冊。

ヴィクトール・フランクルみすず書房、2002年)
過酷な収容所にあって、人生の意味を問い続ける筆者が、逆に人生から自身の存在の有り様を問い反されるという営為に昇華させていった強靭な生き様。逆境にあってニヒリズムの絶望という陥弄に落ちず、最後までリアリズムの希望を放擲しなかった存在は、そのまま我々の暗がりの中での歩みに曙光となるだろう。

ハンナ・アレント人間の条件(ちくま学芸文庫、1994年)
アレントの主題「全体主義という悪を、普通の人々が積極的に担った」ことについて、原因からの考察が全体主義の起源であり、解決の方途を示したものが人間の条件と言える。「人間」を「個人」でも「集団」でもない「公共を誕生させうるもの」にするための「条件」を人間の条件は提示している。

EH・カー歴史とは何か(岩波新書、1962年)
実証主義の限界を指摘しても、相対主義の闇に陥っても、生きた事実には到着できない。「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」。現在の眼を通して歴史を見ることの大切さをカーは説くが、学ぶこと全てに関わる構えである。対話のできない人間には生きた事実は見えない。

エドワード・サイード知識人とは何か(平凡社ライブラリー、1998年)
パレスチナ出身、主著オリエンタリズムにて西洋中心主義を批判した著者が、広範な意味での「知識人」について語った講義録。知識人は権力に迎合するのではなく、民衆の側、表象=代弁されない側に立たなければならないと徹して訴え抜いている。

B・ウィルソン、池田大作社会と宗教(聖教文庫、1996年)
新しい宗教運動の指導者と高名な社会学者が、宗教ー仏教ならびに他の宗教ーが人間の重大な関心事に影響を与える際の、倫理・哲学・心理学・治療学・組織・歴史的な現れ方について縦横に語り合う。本書には、今日噴出する宗教に関わる組織的・政治的諸問題が見事に予見されており、その解決への示唆に富む

⑰映画チャップリンの独裁者1940年公開)
最後に独裁者ヒトラーと入れ替わったチャップリン扮する床屋が演壇から兵士たちに平和のことばを語りかける場面を見て、国会前で聞いた皆の日常から紡ぎだされる声を思い出した

映画ガンジー1982年公開)
非暴力の闘いとは、人々の「とらわれ」と「あきらめ」を打ち破ること。それがガンジーの運動。ガンジーが敵と対峙するときのユーモアに注目をして見て欲しい。ユーモアとしてあふれるのは、命を慈しむ心。命を軽んじる思想を憎む怒り。そして、和解を信じる勇気。

カミュペスト(新潮文庫、1969年)
人間は孤立して生きることはできないが、共同には上下関係が必然する。対等な連帯は可能なのか。孤立都市を舞台に団結する雑多な民衆を描く本書は、水平な連帯を構想する上で外せない。鍵は一人の人間として不条理に立ちがることである。命を尊重しない現在の日本社会においてこそ、読むべき古典である。

ミシェル・フーコー監獄の誕生(新潮社、1977年)
「権力は知を生み出す。権力と知は相互に直接絡み合う」。本書は監獄の誕生過程を分析することで、不可視の権力がいかに我々の生活を支配しているかを暴き出す。見せしめから監視=矯正への規格化とは、経済的であるだけでなく知と結び付き内面化される。常識とは虚構に過ぎないと最高峰の知性はいう。

― 【いま】十冊 ―

池田大作君が世界を変えていく(朝日出版社、2002年)
「「市民が二名死亡」などと簡単に言うな。「ホセが死んだ」「マリアが死んだ」と泣け。」この言葉は私の戦争観を変えた。9.11直後に出版された本書のテーマは非暴力、世界宗教の普遍性など多岐に渡るが、その根底に流れているのは1人の犠牲をも絶対に許さないという生命尊厳の人間主義である。

自由と平和のための京大有志の会著、塚本 やすし絵戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」(朝日新聞出版、20159
京大有志の会の声明文をこども語訳するという発想の優しさはどうだろう。それに加えて、こども語訳に絵をつけるという発想。生命をいとおしむ発想から生まれたこの絵本は、限りなく優しい。その優しさで戦争という「残酷」を描いている。

現代思想 201510月臨時増刊号 総特集:安保法案を問う(青土社2015年)
安保法制が抱える問題点を各分野の専門家たちが解説した論文集。憲法(立憲主義)、政治思想(自由と民主主義)、歴史、経済(貧困と格差)、教育、安全保障、文化、メディア、知識人論、社会運動の現場など、多面的に今回の法律の問題を考えるための導きの書。

高橋源一郎SEALDs『民主主義ってなんだ? 』(河出書房新社、2015年)
これほど個性豊かで、しかも、世間的には非日常とみえる世界を、日常として生きてきた若者はいるだろうか。SEALDsメンバーに高橋源一郎がインタビュー。前半では、彼らの運動のはじまりから「いま」を語る。後半の、立憲主義と民主主義の相互補完についての議論は必読。

中野晃一右傾化する日本政治(岩波新書、2015年)
日本の右傾化はどこから始まるのか。冷戦とその崩壊から現在へ至る複雑な内外の政治史を丁寧に紐解き、結末としての人間を人間として扱わないアベ政治を考察する。著者は自由主義勢力と革新勢力の再生と連携にそのオルタナティブを見出す。「まだ、大丈夫」と言っている時こそ実は「手遅れ」なのだ。

木村草太集団的自衛権はなぜ違憲なのか(晶文社、2015年)
「憲法を無視するということは、人類の叡智を無視するということだ」。殆どの憲法学者が違憲と認める安保法。その中核となる集団的自衛権の違憲性を、閣議決定から法案通過へ至る審議を時系列で検証する。憲法を学ぶとは、権力者が犯しがちな失敗を学ぶこと。喫緊の錯誤に抗う知性鍛える一書である。

SEALDs『民主主義ってこれだ!(大月書店、2015年)
戦争法案を止めるために立ち上がったSEALDsが、ここまで大きな存在になるとは、だれが想像しただろう。参議院特別委員会公聴会に出席したメンバーの奥田愛基氏の意見陳述全文をはじめ、東北から沖縄に至るまで広まったSEALDsメンバーの素顔とスピーチを収録。

神野直彦「人間国家」への改革 参加保障型の福祉社会をつくる(NHK出版、2015年)
市場拡大と政府縮小の潮流は過剰な豊かさと過酷な貧困を自然環境と人的環境を飽くなく蕩尽しているもたらし、。必要なことは人間を手段と見る事業国家から、人間の生を最上位に位置づける人間国家への転換である。本書は故・宇沢弘文門下の財政学の大家が経済学から民主主義の回復目指す提言の一書。

矢野久美子ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者(中新書、2014年)
人間を「無効化」する全体主義と対決し20世紀を最も真摯に生き抜いた女性哲学者アーレント。本書はその強靱で根源的な思索の軌跡を辿る最良の評伝だ。平凡な人間が自分で考えることを辞める時、悲劇は業務にすり替わる。アーレントの思索は、言語を使ってものを考えることの大切さを語り続けている。

赤坂真理愛と暴力の戦後とその後(講談社現代新書、2014年)
「戦後レジームからの脱却」を掲げるアベ政治だが、脱却すべき戦後日本とは何だったのか。本書は作家が自分史を振り返りながら戦後日本の特色を「愛と暴力」と読み解く。建前は必要だが時として暴力と機能する。建前さえ一切ないアベ政治は、むき出しの暴力だ。歴史を知ることと違和感を大切にしたい。