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選書プロジェクト 第3号


ネットプリント番号:59225896(1/21まで)

― 戦争へと至る道 ―

 忘れられない笑顔がある。
 「今から思うと笑っちゃうんだけどね。私は神風が吹くと信じていた。日本が負けるわけがないと思っていた。軍国少女だったんだよ。戦争が終わった時、騙されたと思った。こんな馬鹿なことってあるだろうか。」
 宮城巳智子さんは沖縄女子学徒隊、ずいせん学徒隊の生き残りだ。沖縄戦で28人が生き残り、そして33人が死んだ。彼女は学友の遺体をまたぎ、生き残った。
  その体験を聞かせて頂いた最後に、「こんなバカなことってあるだろうか」目に涙を浮かべて大笑いしていた。つられて、私も笑ってしまったが、彼女が笑えるようになるまでどれだけの苦しみを超えてきたか、想像さえできない。

  米軍が上陸してくるまで「戦争」をしている実感なんてなかったと言っていた。
  彼女の言葉は私に戦争とはなんだろうかと考えさせる。戦争とは人が死に、焼け、町が壊されることだろうか。彼女のそばにいつでも戦争はあったはずだ。方言札が言語をしばり、男たちが戦死し、日々貧しくなっていく。なのに、それでも戦争を見えなくさせたのはなんだろうか。私は学んでいくうちに本当の戦争というのは、そんな悲劇を「仕方がない」と言って、見なかったことにしていく、日常の事をいうのだと思った。そこにいる人の痛みが、聞こえずにやがて見えなくなって、そして言わなくなり、私自身を焼く瞬間まで本質をみせないのが「戦争」なのだと思う。
  今回、私たちは「戦争前夜」として、戦争に至るまでの道筋を辿った本を特集したいと思う。そこにはいつの間には日常の顔をしていた戦争と、おかしいとあげた声が届かなかった歴史がある。


  今年、27歳になった。私は戦争体験を聞ける最後の世代で、最後にならなければならない世代だ。私たちが当たり前だと思ってきた平和はただただ、二度と戦争をおこしてはならないという痛々しいほどの祈りの上に守られてきたのだと今、壊れかけた平和国家のもとで思う。
  あの時、沖縄の学徒隊は、戦争の本質を何一つ知らされずに、戦争にかりだされた。もし、もう一度、戦争になったとして彼女たちの訴えを聞いた私は何も知らなかったとは言えない。
 その責任を負って、ひたひたと日常の顔をして迫りくる「戦争」を私達は拒絶しなければならない。


― 特集【戦争へと至る道】 ―

池田大作/J・U=サイフェルト『生命の光 母の歌』(聖教新聞社、2015年)
二度の大戦を生き抜いた両親を持ち、自身も爆弾の降る中生き抜いた、声楽家、元墺文部次官の女史とSGI会長の対談。全盲の父の娘として、芸術家として、パートナーを2度亡くした女性として、人間として、困難に直面した時「どう生きるか」が語られている。私にとって人生の指標となった対話。

鈴木健二『新聞と戦争 メディアはなぜ戦争を煽るのか』(ちくま文庫、2015年)
台湾出兵から現在まで、新聞は戦争をどのように伝えてきたのか。愛国心に応え戦争を煽ってきたのがその足跡である。日本の新聞は「ときの権力の保護下で育ち、成長したからである」。新聞は守りに廻ればこれほど弱いものはない。だからこそ時代に敏感であらねばならぬ。戦争が出来る国になろうとする現在、「新聞よ、眼を覚ませ」。

高崎隆治『戸田城聖 1940年の決断 軍国教育との不屈の闘い』(第三文明社、2002年)
国家総動員体制の日本で、果たして不屈の抵抗は可能なのか。戸田は少年雑誌を通じて「世界に眼を向けよ」と訴え続けた、敵を利用してまでも。戦い続けることが人間であると著者は言う。本書は学徒兵として戦争を経験した著者が「抵抗」を掬い上げる快心の一書。『雑誌メディアの戦争責任』(第三文明社)と共に読みたい。

半藤一利、保阪正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社、2013年)
権力は四角形の枠で弾圧してくる。教育、暴力、法体系、そして最後が情報の一元化だ。しかも戦争に協力すると新聞は売れるのだ。戦前、戦中派の二人は「歴史を知れば道がわかる。方向はわかる。道を誤らないために歴史を勉強するのは本当に大切」と強調する。市民的自立が損なわれようとする今、昭和史の教訓を検討する本書を紐解きたい。

原作 矢立 肇/富野 由悠季『機動戦士ガンダム00』TVシリーズ /『劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer』(TV版2007-2009 劇場版2001年)
武力による戦争根絶を掲げる私設武装組織「ソレスタルビーイング」と既存国家群との激化する軍事衝突。経済特区日本で市民として学生生活を満喫する、沙慈・クロスロードとルイス・ハレヴィ。遠い世界の出来事であったはずの争いが突然二人の平和な日常を奪い、相対する勢力へと引き裂いていく。

内田百間『東京焼盡』(中公文庫、2004年)
「何ヲスルカ見テイテ見届ケテヤラウト云ウ気モアッタ」とうそぶく内田百閒は、夏目漱石門下のユーモア作家。怒りや悲しみを極力抑えた筆には、戦時下という非日常の圧迫が、ユーモラスな食欲中心の日常性を異常だと思わせるほど狂ったものであることを浮き彫りにする。その内田の目の前で、東京が次々に焦土と化していく。

山田洋次『母べえ』(松竹映画、2007年)
思想統制の中で、声を上げた本人だけではなく、家庭にまで踏み込んできて日常生活を壊していく権力の狂気。それにおびえつつも、家族を守るために必死になって日常を取り戻そうとする女性の生き方を描く。戦争の最大の被害者は、権力の横暴によって日常を壊され、家族に悲しい思いをさせる女性なんです。

森下佳子『ごちそうさん(上・下)』(NHK出版、2013年)
同名の連続テレビ小説でご存知の人も多いでしょうね。いのちを守るというのは、具体的には、ふつうに食べることを守ることです。そうした食を守ろうとしても、材料が手に入らないとか、国防婦人会がぜいたくをしていないか見張りにくるとか、自由にさせてくれないのが戦争の嫌なところだと思います。私はいやです。

本土章『続々・大阪古地図むかし案内ー戦中~昭和中期編』(創元社、2013年)
あなたはいまどこに住んでいますか?あなたの住んでいるところは、戦争中、どうなっていたんでしょう。この本は戦災の詳細を記した地図や、防空計画の名のもとに強制取り壊しの対象となった地域が、モノ言わぬ地図として採録されている。眺めているだけで、ああ、あの人の住んでいるところは焼けたんや、と呆然。

森達也・姜尚中『戦争の世紀を超えて ~その場所で語られるべき戦争の記憶がある』(集英社、2010年)
映画監督と政治学者がアウシュビッツや市ヶ谷記念館(東京裁判)など訪れ、 等身大の人間に想像力を働かせつつ、戦争という“人間の振る舞い”を語り合う。「やっぱり僕らには、誰かを異物として排除したいという原始的欲求があるのでしょうか。」厚顔無恥な現政権が支持率UPしたのはなぜか?考える糸口があるかもしれない。

鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書、2010年)
ヒロイズムとシニシズムと徹底的に対峙し、根源的に思索しながら自分自身の責任を引き受けて生きた鶴見俊輔先生が2015年7月に亡くなった。93歳で没くなるまで「不良少年」として生き続け、国家と個人との関係を常に思考し続けた。本書は、戦前・戦中・戦後の軌跡を切り結ぶ類い希なる叡智の力強い回想録だ。
 「くに」にしても「かぞく」にしても、それは現象に過ぎない。実在する真理ではない。常に「常識」とされることに、鋭利な知性と人間味溢れる感性で先生は戦い続けた。何が本当のことなのか。それは差し当たりのことを自覚することで等身大の人間として柔軟に生き抜く責任を引き受けることである。
 戦前、鶴見俊輔先生は、友人と日米開戦はあり得るのかという議論になったという。鶴見俊輔先生曰わく「日本の国について、その困ったところをはっきり見る。そのことをはっきり書いてゆく。日本の国だからすべてよいという考え方をとらない。しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける」。
 しなやかな知性とは、神の眼をもつことではない。揺れ動く時世に振り回されず、自己を鍛え上げていく事なのではないだろうか。鶴見俊輔先生は言う、「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」。
 戦後70年に先生が亡くなったことに私は泣いた。先生から「したたか」な知性を学んだからだ。「したたか」とは「強く」と書く。人間が人間を人間と認めず、単なる「モノ」と認めよと国家は丸め込もうとしている。私は「不良少年」として強(したた)かに抗う。

創価学会婦人平和委員会編『かっぽう着の銃後    平和への願いを込めて 17   国防婦人会(大阪)編』(第三文明社、1987年)
愛国婦人会と違い、国防婦人会は大阪の庶民の善意から出発して、いつの間にか戦争への大きな加担者になってしまった。しかも、皆が進んで充実感を持ってやったことが、結果として沢山の人の死に結びついたのである。多くの人はなにが間違っていたのか、戦争が終わるまで気付なかった。いったい、なぜ?

戦争と文学編集室編『<戦争と文学>案内 コレクション 戦争と文学 別巻』(集英社、2013年)
本書は、全20巻からなる近代日本戦争文学の優れた通史。別巻の本書では、近代日本を設定した巨大な装置としての文学を日清日露の戦争から現代に至るまで現代文明の病根を観察しようと試みる。敗戦から70年。記憶の忘却が「平和」を捨て始めている。「古すぎる」戦争を再び招かないためにも記録を読みたい。

B・アンダーソン(白石隆、白石さや訳)『定本 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』(NTT出版、2007年)
国家は、一人の人間に、国家の為に死ねというが、一人の人間のために滅亡した国家は一つも存在しない。近代の戦争単位となった「国民国家」とは一体何なのか。ナショナリズム研究の古典といってよい本書は、私たちが自明のものと理解する「国民国家」が近代に捏造されたフィクションであることを明らかにする必読の一冊だ。

小熊英二『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』(岩波新書、2015年)
「どんな境遇から戦争に行ったのか」「帰ってきてからどう生きていったのか」。本書は、一人の日本兵の戦前、戦中、戦後の軌跡を辿るライフヒストリーだ。戦争が人間をどのように変えるのか、戦後日本の平和意識がどう醸成されたのか丁寧に描き出す。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」。美談でも悲劇でもなく20世紀日本の生活史から戦争と平和を考えることができる。

ボリス・シリュルニク(林昌宏訳)『憎むのでもなく、許すのでもなく  ユダヤ人一斉検挙の夜』(吉田書店、2014年)
ドイツ占領下のフランスでナチに逮捕された時、著者は6歳で、ある日突然、「現実から切り離された表象」として差別・処罰され、隷属を要求された。隷属の本質とは対象に関して考えることを拒否することである。失った自己の回復には過去を練り直し続け、生きる時間としての物語を再構築していく営み=レジリエンスが必要だ。個人にとって戦争とは、心の傷とたたかうのなまの物語なのである。

将基面貴巳『言論抑圧 矢内原事件の構図』(中公新書、2014年)
戦前日本を代表する言論抑圧事件をマイクロヒストリーの手法から徹底的に著者は洗い直す。権力からのプレッシャーはど真ん中だが、民間の国家主義者からの過剰な攻撃と遠慮する大学というデジャブ感には、とても過去のこととは思えない。「身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する」(矢内原の最終講義)

想田和弘『熱狂なきファシズム: ニッポンの無関心を観察する』(岩波ブックレット、2014年)
ファシズムに必然するのが狂気的熱狂だが、映像作家は今日のそれを「じわじわと民主主義を壊していく」“低温火傷”という。内向きなナショナリズムに喝采し、ヘイトスピーチが公然とまかり通り、貧困と格差が増す現在日本は、もはや「平時」ではない。反知性主義の勢いは民主主義を窒息させようとしている。手遅れになる前に。

對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々ー反ナチ市民の勇気とは何か』(中公新書、2015年)
多くの国民が支持したナチス・ドイツ。倫理観が崩壊し、利己的動機による密告をする人もいて、捕まれば家族をも連帯責任で投獄される中で、組織の後ろ盾もない人々が地下で連携し、反ナチとなった。職も学歴も関係なく、「自らの責任で決断し事を引き受ける意志」を貫いた人々の生き様が描かれている。

ジョン・W・ダワー『容赦なき戦争』(平凡社、2001年)
先の大戦では、全ての戦争当事国が大規模なプロパガンダを通して、「敵国」の非道さや人種的な劣性を誇張していた。日本からすれば、「鬼畜米英」、連合国からすれば「yellow monkey」といった具合に。戦争指導者は、こうして人間性を否定し、国民を洗脳する。一人残らず、私たちは「人間」であり、世界のどこでも、同じ「人間」が毎日を懸命に生きていることを忘れまい。

手塚治虫・石子順『漫画の奥義 作り手からの漫画論』(光文社知恵の森文庫、2007年)
マンガの神さまと言われた手塚治虫は、少年時代に戦争を経験している。マンガを書きたいという少年らしい欲求に対して、学校は軍事教練に携わった教員を中心に、暴力でそれを阻止しようとした。ささやかな日常が奪われることに抵抗した手塚が受けた苦痛は、現代の我々にも忍び寄ってきつつある。

太宰治『津軽』(新潮文庫、2004年)
太宰治が本書を上梓したのが敗戦の前年。会話には、米の供出や、馬の出征、召集令状などが当たり前のように出てくる。「国運を賭しての大戦争のさいちゅう」に運動会で乳母と会う巻末を、太宰はこう結ぶ。「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」。戦争は日常に影を落とす。

吉村昭『脱出』(新潮文庫、1988年)
戦争は、中央から遠い辺境ともいえる地方にこそ、その矛盾があからさまな日常とのギャップとして表れる。ここに描かれた少年たちは、樺太疎開でも、サイパンでも、沖縄からの学童疎開船の中でも、そして、戦地などを見ることもない瀬戸内の小さな島でも、日常への圧迫として覆い被さる戦争の被害者だ。

古川緑波『ロッパの悲食記』(ちくま文庫、1995年)
「朝食に、珍しく豆腐の配給あり。豆腐の味噌汁、それを喜ぶ。こういう世の中になると、喜ぶことが多い」昭和19年1月23日の日記より。戦争は当たり前の食にまで、暗く影を落とす。エノケン・ロッパと並び称された喜劇王が、どんどん政府による統制が厳しくなっていく食を中心に、食べる喜びを通して、戦時の悲惨を描く。