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選書プロジェクト 第8号

ネットプリント番号:72268649(3/2まで)


民主主義・憲法・立憲主義
 私たちはなぜルールをつくってその社会を運営するのでしょうか。それは人間という生き物が間違いやすい生き物だからです。間違いやすい弱い存在だからこそ、二度と過ちをくりかえさないためにルールを作り、常にその来し方を振り返り、反省する必要があります。
 人間は一人では決して生きていくことが出来ない社会的動物です。異なる他者と協同することでお互いの生命財産、そして人格的価値を守ろうと取り組んできました。人間はその歴史のなかで、一人の人間の価値が守られると同時にその包摂的な共同体が持続できるよう試行錯誤を繰り返してきました。人類が長い時間をかけて抽出してきた叡智の結晶とは何でしょうか。それは憲法であります。
 憲法という規範を立てることを立憲主義と呼びますが、国家(権力)の暴走を縛り、個人の尊重を確立することがその根本に有ります。国家という共同体は人間が集まって暮らし始めてからこの方、暴走しなかったためしはありません。それは運営の制度を問わず、権力のはらむ必然的な宿痾といってよいでしょう。
 私たちは今回、民主主義・憲法・立憲主義 をキーワードに28冊を選書してみました。すでに解釈改憲によって立憲主義を骨抜きにした現在のアベ政治がいよいよ憲法改正を真正面に掲げ、なし崩し的にその雰囲気を醸成しつつある現在、その普遍的な意義を確認するために知性を働かせることは意味のあることだと考えるからです。
 法の支配を無視し「人」が支配する前時代的な野蛮に対峙するためには、どこまでも人類の叡智の軌跡をたどり直し、その暴力をふるい落としていかなければ、議論にすらならないからです。
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簡単に言えば、憲法を学ぶということは、権力者が犯しがちな失敗を学ぶということなのだ。そこには歴史に基づくリアリズムがある。憲法を無視するということは、人類の叡智を無視するということだ。憲法を無視した政策論は、時流に乗った軽率な議論である可能性を疑わねばならないだろう。木村草太(共同討議・國分功一郎)『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』晶文社、2015年、272頁。

國分功一郎『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書、2013年)
民主主義のアリーナとは選挙だけなのか。主権は立法権と定義し、議員の熟議で全てが決定されることになっている。しかし実際には統治に関わるほとんどの事柄は行政が執行する。そして私たちは行政権に全く関わることができないのが現実だ。哲学者の著者は民主主義の機能不全に注目し、「参加する社会」に絶えず更新することで、未来を展望する。諦めるにはまだ早い。

尾崎行雄『立憲主義の日本的困難 尾崎行雄批評文集1914―1947』(書肆心水、2014年)
一貫して立憲主義の理想を掲げ、藩閥・金権政治を批判した尾崎行雄。本書はその批評をまとめた一冊だ。一読すると、古くて根深い日本の反立憲主義的心性との闘いが「憲政の神様」の歩みであったことには驚くほかない。規範を無視する人治政治がアベ政治の特色である。道理の支配こそ立憲政治の精神という尾崎の精神を今こそ。

エマニュエル・トッド 『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』 (文春文庫 2016)
シャルリ・エブド襲撃事件に対する「表現の自由」を掲げた大規模デモを取り上げ、普遍的な価値の喧伝に潜む排他性を問い質す。視点は変わるが、安保法反対の「日本がテロの標的になる」という声の中にも、排他性(すなわち戦争への親和性)が潜んでないか? 安保法に反対する者として、私も自らに問い直す。

ムスタファ・シェリフ(小幡谷友二訳)『イスラームと西洋 ジャック・デリダとの出会い、対話』(駿河台出版社、2007年)
個性を尊重しそれが保証される普遍性を立ち上げることは果たして可能なのか。本書はイスラーム学者と哲学者デリダの対談だがその可能性が縦横に検討されている。要は「差異の原理、他者性への敬意、これらは文明の根源」であること。自己批判と改善可能性を受け容れることに軸足を置く「来るべき民主主義」がその個性を保障する。イスラームと西洋の対話は、洋の東西を超えて民主主義再生のヒントとなろう。

ジョン・デューイ(阿部齊訳)『公衆とその諸問題 現代政治の基礎』(ちくま学芸文庫、2014)
機械化と画一化を特徴とする現代社会において、人間の息吹汲み取る民主主義は可能なのか。デューイは情報の公開と共有を強調、その基礎の上に成り立つコミュニケーションによる連帯、そこから立ち上がるアソシエーションと習慣による社会の内在的変革に民主主義の可能性を見出す。原著は1927年、今読むべき本。

古谷経衡           「ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか」(晶文社 2015
保守の側から保守の劣化を嘆く書。映像世代で情報リテラシーの低いネット右翼と大メディアの温室で堕落した上流保守の癒着こそが病理。ヘイトスピーチと反知性主義を厳しく批判し、保守の側からネット右翼を正すことを提唱。ただ、著者の言うソーシャル保守は、もはやリベラル?

山口二郎『いまを生きるための政治学』 (岩波書店、2013)
 社会的存在としての人間は政治を不可欠とする。諦めでも熱狂でもなく、いかに関わればよいのか。本書は「困難な時代を生き抜き、人間の尊厳を守る世の中を作り出すための指針」を具体的に検討。文明論的視座から政治学を新しく構想する。
 1990年代を時代の転換点と捉えた上で、戦後日本社会の歩みと変節と現状を分析。政治(学)と民主政治の意義を考察した上で、その実践の方途探る。知ると動くの二部で本書は構成されている。
 「人間は不完全な存在である」--。この事実から出発し、その協同を維持・持続・発展させるのが政治といってよい。著者は人間の本性を踏まえた上で、これまでの失敗や具体的な現状を取り上げ、その営みを私たち自身の事柄へと取り戻そうと本書で果敢に試みる。
 著者の提案は政党政治が理念や理想で結集するという基本に返れという極めてシンプルなものである。その遂行にあたっては先鋭的理想主義に傾くなという。何より大切なのは私たちが「声(voice)を出す」こと。虚偽を激しく撃ち、参加と熟議促す必携の一冊である。

小林多喜二 『蟹工船・党生活者』(新潮文庫 1954)
戦前の政治社会を描いたこれらの作品は、過去にあった反ユートピを描いていると言ってもよい。しかし、21世紀に生きる我々は、それを人間性を回復する戦いの歴史として読むべきである。小林多喜二の作品は、左翼の教科書の公式ではなく、魂の楽観主義の古典。

渋谷秀樹『憲法への招待 新版』(岩波新書、2014年)
24の問いに答える形で、日本国憲法の思想と骨格を平易に解説する「市民のための憲法入門」。日本国憲法に通底する精神とは「一人ひとりを個人として尊重することに一番価値を置くことを前提に一貫して組み立てられている」ことだ。憲法の本質と人類普遍の原理を知らぬまま思い込みで論じる論調が多い中、その本質を浮き彫りにする本書をはじめて学ぶ人に手にとって欲しい。

内山 奈月 , 南野 『憲法主義: 条文には書かれていない本質」 (PHP文庫 2015)
憲法全文を暗唱した高校生アイドルと憲法学者のやりとりを対話形式で収録。立憲主義(Constitutionalism)を原義に則して現代的に表現した「憲法主義」の表題からも汲み取れるように憲法条文にこめられた理念をわかりやすく解説。中高生から親しめる「知憲」のための入門書。

ロバート・A・ダール著、高畠通敏・前田脩(訳)『ポリアーキー』(岩波文庫 2014)
原著の副題は「参加と異議申し立て」。ダールは、理念としての民主主義とは区別して、ポリアーキーという言葉を考えた。それは、制度としての民主主義の測定モデルである。鍵は、政府や権力に対してどのような異議申し立てのチャンネルがあるか。民主主義の要は、意見を言う勇気である。

伊藤真『現代語訳 日本国憲法』(ちくま新書、2014年)
本書は長らく法曹教育に携わってきた著者による日本国憲法と大日本帝国憲法の現代語訳。近現代日本の性格を規定した二つの憲法を読み返すことで、この国の過去、現在、未来が浮かび上がる。条文ごとに解説付き。憲法の基礎的知識習得の上で必携の一冊。憲法を立てる意味とは(=立憲主義)「憲法の価値は個人の尊重(尊厳)にあり、憲法は国家を縛るための道具」。安倍首相に是非読んで欲しい。

黒田充 『マイナンバーはこんなに恐い! 国民総背番号制が招く“超"監視社会』 (日本機関紙出版センター 2016
導入されてしまったマイナンバー制度に怒りを持ち、反対運動を続ける人たちが問題にしているのは、国家による情報統制だ。しかも、その情報が「戦争する国」になった日本の政府に悪用される恐怖は、計り知れない。マイナンバー導入で、どんな危険が生じるのか、その本質と国の目論見を鋭く突く書。

香山リカ 『ヒューマンライツ: 人権をめぐる旅へ (ころから 2015
この対談集に一本通った芯は、人権侵害に対する怒りだ。怒ることができるのは、それが他人事ではなく、いつでも自分の身に起こり得る悲惨事だとよく分かっているから。そう、わかっているからこそ、行動する。香山さんがそうであるように。それにひきかえ、行動を伴わない人の無責任さはどうであろう。

栗山尚一 ほか 『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』 (岩波書店 2010
国民主権を否定するかのような妄言が国会議員の口から出る風潮はどこから来たのか。ここに暴露されたような情報の国家統制の歴史が、政治家の傲慢を招いたことは明らかだ。主権を秘密主義的な権威から取り戻すためにも、一体なにが陰で行われてきたかを知る必要がある。任せたら、騙されるだけだ。

宮本太郎 『生活保障 排除しない社会へ』(岩波新書 2009
日本の雇用の現状を「排除」という概念を用いて考察する視線の根源には、深い憂慮と怒りがうかがえる。国の政策によって劇的に増えつつ有る非正規雇用の悲惨を考えた時、この本のように長期的ビジョンを元にした希望の持てる生活保障のありかたこそが、真の意味での「対案」として提示されるべき。

セヴァン・カリス=スズキ 『あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ』 (学陽書房 2003
12歳のこの少女が環境サミットで勇気あるスピーチをしてから20年以上が経過したいま、私たちは彼女の勇気に応えるほどの世界を作って来れたのだろうか?この力ある言葉たちに応えられる社会に、いまなっているのだろうか?未来を展望した彼女の希望に、私たちの行動は向かっているのだろうか?

迅作、竹内 好訳 『阿Q正伝・狂人日記他十二編(原題:吶喊)』  (岩波書店 1955年)
この本に収められた作品群に共通する通奏低音は「これ、おかしいんじゃねぇ?!」というやむにやまれぬ「吶喊」である。科挙崩れで格好だけの知識人、貧困の中にいても環境を変えようとせず精神的勝利のみの幻覚に酔う一般庶民、食人思想、纏足や誤った良妻賢母の思想で女性を縛る文化など、当時の中国にも「これ、おかしいんじゃねぇ?!」ということが溢れていた。それを小説という手法によって赤裸々に暴き出すことで譴責を行ったのがこの作品の時代としての功績である。時代、場所は違えど今の私たちにとって魯迅が発揮した反骨精神、長いものに巻かれない考え方は一読の意義を持つものだと思う。今日の私たちを取り巻く状況も「これ、おかしいんじゃねぇ?!」と声を上げねばならぬものがあまりにも多いのだから。
 
香山リカ 『半知性主義でいこう 戦争ができる国の新しい生き方』(朝日新書、2015年)
左の知性主義と右の反知性主義の中間を推奨する。筆者はネットでの知性を欠いたレスに辟易し、精神科医として分析している。「おバカ」がもてはやされ本を読まないことが格好いいという風潮を嘆きながらも軽やかに知性と付きあう生き方を説く。最近の苛烈な筆者の行動を自身で宣言していた書でもある。

ジュリオ・リッチャレッリ監督 『顔のないヒトラーたち』 (ドイツ映画 2014
原題「Im Labyrinth des Schweigens(沈黙の迷宮の中で)」が表しているように、本作で描かれたアウシュヴィッツ裁判以前、多くのドイツ国民はホロコーストを直視しようとはしなかった。自分の友人、家族を糾弾することになるからだ。
「ただ、体制に順応しただけ。そういう時代だったのだ」と言えば、他人に納得はされるかもしれないが、過ちを繰り返す可能性も高い。繰り返さないために過ちを指摘する勇気を持ち続けたい。

半田滋『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』(岩波新書、2014年。)
安倍首相が悲願と掲げる集団的自衛権。武器輸出が解禁されNSC設置、秘密保護法制定など、その勢いは留まることを知らない。本書はその虚偽を一つ一つ丁寧に論駁する一冊。人命軽視と責任回避の体質は今も昔も変わらない。為政者が法の支配を無視してやりたい放題にやる人治国家という現状は、ならず者が「俺が法律だ」と支配するが如しだ。

N・アジミ、M・ワッセルマン(小泉直子訳)『ベアテ・シロタと日本国憲法 父と娘の物語』(岩波ブックレット、2014)
「憲法の条文は必ずしも『アメリカの条文』というわけではなく、一九世紀や二十世紀のさまざまな憲法から、多くの示唆と影響を受けている」。日本国憲法に男女平等の原理を書き込んだベアテの父は日本に西洋音楽を伝えた世界的なピアニスト。父娘の理想主義と人間への信頼の人生を生き生きと描く。憲法の実質的改悪、そして女性の人権が毀損されても屁とも思わない人々が次から次へとわき出す現代。手に取りたい一冊です。

長谷川三郎監督 『広河隆一 人間の戦場』(Documentary Japan Inc. 2015)
48年間、パレスチナの取材を続け、レバノン、チェルノブイリ、福島など人間の尊厳が奪われる現場でシャッターを切り続けた、フォトジャーナリスト広河隆一。彼の写真と発行した雑誌がなければ、戦後日本の戦争責任について考えることは恐らくなかっただろう。「ジャーナリストである前に一人の人間」と語る彼の伝える報道を、一市民としてどう受け止め行動するか。民主主義といっても、市民が賢くなる以外に機能させる方法はない。現在上映中なので、私の拙い文章よりも一人でも多く見て欲しいと願う。

辻村みよ子『比較のなかの改憲論 日本国憲法の位置』(岩波新書、2014)
本書は憲法学・比較憲法学の立場から日本国憲法の位置づけや憲法改正手続きの問題を検討する一冊。各国との対比は現行憲法の改正手続きが厳しすぎる訳でもないことや、その背景となる「押しつけ憲法論」の虚偽を明らかにする。必要なことは喧噪に籠絡されず、人権の尊重や平和主義など日本国憲法の精神を活かすことではないだろうか。

東京新聞社会部編『憲法と、生きる』(岩波書店、2013)
本書は連載特集待望の単行本化、「憲法とともに戦後を生きてきた人々の営みの記録」である。権力と妥協しない生き方、人間として最低限の生存を保障されるための戦い、本書で示される人間像は、健康で文化的に生きていく権利を空気の如く保障してきた現行憲法のアクチュアリティを浮かび上がらせる。

自由人権協会編『改憲問題Q&A』(岩波ブックレット、2014)
改憲のたたき台と目される自民党改憲案の何が問題か。憲法と人権について根本的に理解が間違っていること、集団的自衛権の危険性を隠していること、現行憲法の改正手続きの硬性という嘘という4つ。改憲案は民主主義国家でいう憲法などではない。それは権力者によって都合の良い装置へと改悪させることにほかならない。本書は戦後日本の繁栄の根拠となった憲法の価値を再確認できる一冊。

半田滋『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』(岩波新書、2014年。)
安倍首相が悲願と掲げる集団的自衛権。武器輸出が解禁されNSC設置、秘密保護法制定など、その勢いは留まることを知らない。本書はその虚偽を一つ一つ丁寧に論駁する一冊。人命軽視と責任回避の体質は今も昔も変わらない。為政者が法の支配を無視してやりたい放題にやる人治国家という現状は、ならず者が「俺が法律だ」と支配するが如しだ。

樋口陽一『いま、「憲法改正」をどう考えるか 「戦後日本」を「保守」することの意味』(岩波書店、2013)
安倍首相が力をいれる憲法改正がなぜ暴挙なのか。本書は明治以来の立憲政治と憲法史の伝統から、その問題点を撃つ。立憲主義と天賦人権論の否定にみられるエスノセントリズムは、保守とは逆の幼稚な根無し草といってよい。「戦後レジームからの脱却」は近代日本の伝統と挑戦の否定でもある。現在の立ち位置を確認し、明日を展望する一冊。